災厄(1)

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「――どういうこと!?」

 十八歳の当時、しばらく会っていなかった女友達に呼び出されたカタリナは、激昂する彼女に困惑した。

 町の大通りから少し外れた所で虫や人の気配も一切しない。こんな所に呼び出して良い話ではないだろうと思っていれば、彼女はカタリナを憎しみのこもる目で睨みつけた。

「あなたのせいで……結婚の話がなくなった! 彼はあなたのことが好きだからって……いつから彼と会ってたの!? 友達だと思ってたのに……この裏切り者っっ!!」

 彼女は学校を卒業したら恋人と結婚することになっていた。彼女の恋人は一つ上の上級生で、環境技術を専攻しているカタリナの先輩でもあった。

 この地域では学校卒業後に結婚する女性が多く、結婚せず働きに出る女性は珍しかった。
 カタリナはのんびりした性格で恋人がいない状況にも焦ることのない楽天家。親が好きにさせてくれていたこともあり、卒業後も王都にある環境研究所へ入ることが決まっていた。

 熱心に研究していたカタリナにとって、先輩の知識はいつも有益で知的探究心をそそられる。先輩後輩として一緒に昼食を取ることもあったけれど、そんな時は友人である彼女にも情報共有していた。
 研究室の人とも別け隔てなく接していたが、先輩はカタリナの研究への情熱が自分へ向ける好意だといつからか思い込んでいた。二人で昼食を取っていたこともカタリナが好意を抱いてくれていると――その思い込みは彼にとって都合よく解釈され、いつの間にか誤解を生むまでに発展していたなどカタリナにとって寝耳に水。想いを告白されたことだってなかったのだから。

 先輩には恋愛感情など抱いていないとカタリナが弁明しても、彼女は聞く耳を持たなかった。
 その憤りは激化し、誰にでもいい顔をするカタリナが昔から嫌いだったと、本当はたぶらかしたんでしょう! と非難し続けた。
 学生時代から良き友人だと思っていたカタリナにとって、深く傷つく言葉だった。
 争い事が苦手で穏やかに過ごしてきたカタリナは常に人と対等に接してきたつもりだったが、そう思われていなかったことが悲しかった。

「あなたっていつもそう。何もしなくても人に好かれて……。人をたぶらかすのが得意なんて魔女みたいね……!」

 彼女は見たこともない形相でカタリナに詰め寄った。
 魔女とは、社会に害悪を及ぼす女を指す言葉。カタリナは男をたぶらかす魔女だと、彼女が罵倒する。
 憎しみに駆られた彼女の変わりようが恐ろしかった。その場がとても禍々しい雰囲気で背筋が凍り、呼吸まで苦しくなる。そして彼女の振り上げた何かが月明かりで光り、刃物のように見えたカタリナは身を縮めた。

「いやっ!」
「ああああ……っ!?」

 ひりつくような大声を上げた彼女の様子が一変し、カタリナは瞠目する。
 彼女の若々しい肌は突然干乾びていき、髪は信じられないほど伸びて、目は窪み皮膚が垂れ下がる。彼女はみるみる老人と化した。

「きゃあああっ!」

 周囲に重く禍々しい空気がまとわりつき、その恐怖から逃れるようにカタリナは悲鳴を上げた。

「カ、タリ……」

 恐怖に慄いてカタリナは後退る。彼女が助けを求めるようにカタリナへ手を伸ばしたが、その手を取れなかった。そのまま倒れた彼女は目を見開いたまま――絶命していた。

 何が起こったのか分からず、カタリナは動けなかった。
 必死に目の前で起こったことを理解しようとするが、老人になってしまった友人の姿があまりに非現実的で、混乱した頭は正常に働かない。
 しかし倒れた彼女の手の中にある物に気づき、カタリナは目を見開く。彼女が握っているのはレリレの花を模った髪飾りだった。

 二年に一度咲くレリレの花は、蔦のような葉が隣同士で絡み合い、手を繋いで見えることから友好と平和を象徴する証として国花に指定されている。
 初めて友達になった年、二人で色違いを揃いで買った。カタリナが選んだものを彼女が持ち、彼女の選んだものをカタリナが持っていた。
 先ほど彼女が振り上げたのは刃物ではなく、レリレの髪飾り。ただ、怒りに任せて投げ捨てようとしただけだったのかもしれない。

「あ、あああ……っ」

 カタリナは膝から崩れ落ちた。殺されるかもしれないという恐怖で何かの魔法が発現し、カタリナは彼女を殺してしまったのだと悟った。それがどんな魔法か分からない。けれど彼女は死んでしまった。
 大変なことをしてしまった。恐怖で体が震え、涙が溢れる。

 ――誰か、人を呼ばなければ。

 震える足に力を入れて何とか立ち上がると、カタリナは人通りのある道へ向かって歩きだした。その先でも違和感を覚える。
 友人と同じように倒れている老人の遺体があった。一人や二人ではない。あちこちに倒れている老人がいる。
 カタリナは自分に発現した魔法が途轍もなく恐ろしいものだったのではと、事態の大きさに震えた。
 一歩、一歩、その場から遠ざかろうとする足。誰か、誰か、と助けを求める心と正反対に、体は遠くへ遠くへ離れようとする。
 遺体を見た人たちもパニックを起こして逃げ惑っている。不謹慎にも無事な人がいることに、心のどこかで安堵していた。

 気がつけばカタリナは自宅へ帰ってきていた。
 パニック状態のカタリナは泣きながら、出迎えた両親に先ほどの出来事を支離滅裂に話した。
 友人を殺してしまったと訴えるカタリナを、両親は恐らく何かの間違いだろうと信じなかった。
 父が外の様子を見に行き、母はカタリナが落ち着くまでずっと側にいた。
 それから小一時間ほどして戻った父は、老人の遺体が複数見つかった現場は混乱状態で近づけなかったこと、当面様子を見るためカタリナは外へ出ないように、と念を押した。

 両親はこの事件がカタリナによるものではないと考え、騒動が落ち着くのを待つことにした。
 個人の使う魔法でこれほど広範囲に影響を及ぼすことは不可能とされていた。そのようなものは国で禁じられている魔術や呪術でしか実現は難しい。

 魔法は願い、それを具現化することで実行されるが効果は大きくない。しかし魔術は複雑な術式を書くことで強大な力を生み出す。その中でも災厄を生じさせる邪悪なものを呪術としていた。
 呪術は戦争に使用されていたがその戦争もなくなり、平和条約が結ばれていく中で魔術や呪術は禁止され、民間で使用が認められるのは生活魔法のみ。それ以外の目的で魔法を扱うには資格を必要とした。
 それ故カルネア国の魔法犯罪は罪が重く、最悪の場合は処刑となる。もしもカタリナが事件の原因だとされれば、彼女は間違いなく捕らえられ無事では済まない。
 正誤に関わらず魔法犯罪において疑わしき者は罰する。それが現国王の方針だった。

 その後も時折老人の遺体が発見された。しかし原因を特定できなかったのか、この事件は何故か公にされなかった。
 カタリナは怖かった。亡くなった友人は密葬されたらしいが、外出を禁じられ参列することも叶わなかった。
 外の状況が何も分からないまま部屋で一人、亡くなった人たちに悔いる日々。カタリナは心のどこかで、あれは自分がやってしまったのだと感じていた。

 それから三ヶ月経つ頃、王都から派遣された調査団がやってきた。
 王宮魔術士団と神殿の聖導士で構成された国の調査団はエリート集団だと父が言う。

「お前は事件と関係ない。でも疑いを向けられては困るから外へ出るな」

 カタリナは更に見つからぬように徹底され、身を潜めるような生活を送った。
 そうしていると、この事件の犯人がカタリナであると断定されたように思えて苦しかった。
 自分を匿い続ける両親に、カタリナはこれ以上隠れているのは辛いと打ち明けた。

「お父さん、私……これまでのことを調査団にちゃんと説明したい」
「何を勝手なことを! 駄目だ! この家から出るのは許さん!!」

 家族から犯罪者を出すことを恐れているのか、匿った罪で家族が危険な目に遭うことを恐れているのか、父は激怒し、カタリナを部屋に閉じ込めた。母も宥めるように言う。

「絶対あなたのせいじゃないわ、カタリナ。たった一人の魔法でこんな大きな事故は起こせないもの。だから調査の結果を待ちましょう!」

 そうは言っても、心中では娘が犯罪者となることを恐れていたに違いない。けれどカタリナは両親の反対を押し切ってまで家を抜け出そうとはしなかった。
 日が経つにつれ、カタリナは処刑されることが恐ろしくなってきたのだ。

 しばらく経ったある日、母が転んで骨折した。父が診療所へ連れて行って骨が弱っていると言われたようだ。
 カタリナはその時、初めて両親が老けたように思った。よく見れば目元が弛んだ気がする。しわが増えた気がする。
 両親はこの時、五十歳手前。いつも活力に満ちて若々しく見える二人だった。それが日に日に弱っていくように思えて不安で堪らなかった。

 父が仕事へ行き、動けない母に代わってカタリナが食料を買いに外へ出る。見つからないよう顔を隠すから父には黙っていてと母を説得し、静かに市場へ向かった。
 今、外がどうなっているのか知りたかった。あの事件がどうなったのか、両親は何も話してくれない。
 カタリナは買い物をしながら町の人の会話に耳を傾ける。

「近所の小さな子があっという間に大きくなってしまってね」
「隣の人はまだ若かったのに、先日会ったら老人のようだったよ」
「調査団の人数が随分減って来月人員が補充されるらしい」
「おかしいんだよ。植物があっという間に枯れちまう」
「知り合いはハローブから出ていったよ。この町は呪われてるって」
「そうかもしれないな……。あんた、鏡を見たかい? すごく老けたよ」

 皆が同じことを言う。知らないうちに加齢が進んでいると。
 赤ん坊はあっという間に幼児になり、子供は成人して、親は老化が進む。

 カタリナはそっと市場を離れた。
 あの日発現した魔法の影響は、あの瞬間だけではなかったのだろうか。
 両親の顔を思い出し、カタリナの鼓動が早くなる。母だけでなく父も足腰が弱ってきていた。

 家に帰る途中で同級生男子を見かけ、物陰に隠れる。十代の幼さは一切なく、髭が生えて中年男性のようだった。
 見間違いかと思ったが、知っている家から杖をつく年老いた親と一緒に出てきた。彼は一人息子だったから本人に間違いない。

 みんな加齢が進んでいる。

 

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